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心がなごみました・・・ありがとうございます。

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 7月 2日(木)23時48分7秒
 編集済
   パウェルさん ぴーめんさん

辻井伸行さんのピアノのテレビニュースとそのYouTubeのサイトの紹介

ありがとうございました。

おかげで心がなごみました。音楽は言葉よりも多くのものを心に与えてくれる時が

ありますね。

それにしても、辻井伸行さんのピアノがアメリカのコンクールで認められて

そのことにより、日本のNHKでも取り上げられるようになった・・・とは


なにか淋しい気もします。日本人演奏家の日本人による評価が、先行してしかるべき

と思うのですが・・・・・・。
 

辻井伸行さん

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 7月 2日(木)22時48分32秒
  http://www.youtube.com/watch?v=aW1yaby0-VE
パウェル兄、↑ですね(^^♪
 

辻井伸行さんのピアノ

 投稿者:パウェル  投稿日:2009年 7月 2日(木)21時42分32秒
  Angelさん、Akiさん、みなさんに

 夕食をしながらテレビのニュースを見ていたら、いつの間にかピアノの曲が流れてきました。あれ、おかなしいなと思って見ていると、先般アメリカのコンクールで優勝した辻井伸行さんの登場でした。
 いつも時事・社会問題のシリアスな問題を取り上げるクローズアップ現代で、国谷裕子さんの司会でしたので少々違和感を感じましたが。

 でも、辻井さんのピアノの音色には惹かれました。まるで別の楽器のように柔らかく暖かく聞こえてきたもので。

 番組の終わりで弾いたショパンの子守歌は、私は多分はじめて聞いたと思います。とても(演奏技術的に)易しい曲に聞こえました。子守歌だからそれでよいのでしょうが、辻井さんの腕がよいのでしょうね。

 私にはこんな程度しかコメントできませんが、思いがけず、ちょっと感動したもので、おしゃべりさせていただきました。
 

日本は変わりつつあるのでは

 投稿者:パウェル  投稿日:2009年 7月 2日(木)21時32分35秒
  Angelさん

 確かに日本は変わりつつあるようです。

 今回の派遣切りで私が最初に思い出したと言うか昔の日本と比較したことは、不謹慎ではありますが、農村の役割でした。私の青年時代はまだ、都会で働いていて職を失ったら農村に帰って居候する、そして、職が見つかればまた都会にでる、そんな雰囲気でした。それが常識だったといってよいかも知れません。

 何も、農村に帰れ、と言っているのではありません。
 日本の社会構造が変わってしまったのです。農村は人がいなくなって荒廃し、失業した息子・娘を支える力はありません。だから、都会でその人たちを支えなくてはなりませんが、社会は、あるいは政治は、そのような仕組みを何ら作ろうとはしてきませんでした。

 その中で、私たちに何が出来るでしょうか。せいぜい、共に語り思いを共感することでしょうね。Angelさんが紹介された「てのひらのうた」の中で歌われているように。


 社会全体が弱い者を見捨てようとしているとは思いませんが、孤独にさらされた人間は追い詰められて、犯罪を犯したり自殺したりします。そのような人を少しでも少なくするために、出来ることをする、共に話すとか、援助しているグループを声をだして応援するとか、そんなことくらいしか具体的には思いつきませんが。
 

「弱い者は死ね・・・!の風潮の中で・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 7月 2日(木)19時32分58秒
 編集済
   今日の朝日新聞の夕刊にホームレスの男性(66歳)を鉄パイプで殴りつけるなどして

重傷を負わせた疑いで14歳の少年が逮捕された。

数年前、私のホームページで同じような事件を紹介したが、現代の世相が、今回の

記事とあわせ、最後の助けを求めに来た自殺覚悟の市民に「死ぬならどうぞ・・・」

と答えた福祉課の職員の話とあいまって、現代社会の風潮が「弱い者は早く死ね・・・!」

の様相を呈してきていることは事実である。(後述のコメントは 6月28日の

この掲示板の 「死なないで・・・!」に詳細に記述 ↓ のコメントを参照ください)

このように、企業も年をとった熟練の社員を,ある一定の年齢がくれば容赦なく切り捨て

追い払う風潮の中で社会全体が「弱い者は死ね・・・!」を大合唱しているように思えて

ならない。

 一体このような社会に希望はあるのだろうか・・・?

教育も、拝金主義・偏差値重視を徹底し、倫理観や道徳観や人間愛は立身出世の

マイナスにつながるとして、徹底した利己主義万能主義を叩き込んだ結果が、上述の

ような、弱い者いじめを面白がる鉄パイプ少年をつくり出しているのではない

だろうか・・・・?

あの、封建主義の絶対君主制であった、安土桃山・江戸時代においても、直江兼継の

ような「愛と義」をかかげる武将がいたことを思うとき、表面上は民主主義と平和憲法を

持つ日本が「自殺世界一」の汚名をもつ、世界の笑いものに成り下がっていることに

憤りを感じざるをえないのである。

この、うっぷんをはらすため、下記のサイトで前回紹介した、「手のひらを太陽に」

とよく似た「手のひらのうた」を見つけたので、紹介します。(下記 ↓ に URL)

上述の私のコメントに少しでも、共感される方は、一緒に歌いませんか(笑)

http://bunbun.boo.jp/okera/tato/tenohira_uta.htm

 

感想

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 7月 1日(水)14時03分30秒
  京都では、6月30日は「夏越の祓え」あの昔懐かしい水無月を食べる日です。
昨日は祖母を思い出しながら、水無月を食べました。

Angelさん
「手のひらを太陽に」は曲もいいけれど、歌詞がいいですよね。
これはやなせたかしさんの詞ですが、やなせさんが生み出した「アンパンマン」は子どもたちに人生を強く生き抜く勇気やその強さを支えるものは、「優しさ」であることを教え、ながいながい間、今でも愛され続けているんですよ。
そして、やなせさんは「たそがれじいさんのアンソロジー」という老境の心を歌った詞もつくっておられます。ラジオで聴いていてすごーい!!と思ったのですが、年齢を重ねても、生きることにドキドキする新鮮な感性を持ち続ける素敵な老人の心境を歌っています。幅広い年齢層の心に食い込む言葉には、深い哲学があるように思います。

ぴーめんさん
いつも素敵なお話をありがとうございます。女の子もぴーめんさんが大好きで
お店に来てくれるのを待っているのでしょうね。
私の行動範囲はぴーめんさんのように広くありませんが、数年前から地域の活動に
参加していろいろなことに取り組んでいます。今年は「花いっぱいになあれ」と種から
苗を育てて配ったり、地域の子どもたちと一緒に物づくりに取り組んだり、どんどん
ふくらんできました。(笑)ぴーめんさんによると、これも隣人愛の表しかたの一つと元気が出ます。

パウエルさん
臨死体験についてのお考え、本当にそのとおりだと思いました。
体験しない人はおそらく90%以上、信じていない、信じられないと
思うのです。でも、同時に、心のどこかで、世界に存在するものは、自分が
知覚し得るものだけではない・・・ということも感じています。
ユングの深層心理でいう無意識の中の世界、仏教でいう阿頼耶識・・・
自分でも、はっきりしない、理解できない部分に何か大切なものが
あるのかも知れません。でも、忙しい日常の中に、私たちは、そんなにじっくり
対面しようとせず、日を過ごしているし、それらは、見ようとしても、
姿を現さない、神からの一方的な働きであるような気もします。
 

”愛と希望と信仰と”

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 7月 1日(水)13時24分23秒
  パウェル兄
>>○奇跡の多くは、「合理的に説明できない」もののような気がします。
>>しかし、それは「存在」するものだと思います。

全くそのとおりだと思います。”愛”も”希望”も”信仰”も
物理的に「存在する」と証明できる代物ではありません。
”色即是空・空即是色”というのもそういう意味だと思います。

”信仰”を”宗教”に貶めてしまうと、
”色即是空・空即是色”が”色即是色・空即是空”
になってしまいます。

「目に見える、科学的に証明できるものだけが存在し、そうでないものは存在しない。」
・・・・”奇跡”は起きません。

✝我信ず、ひとつの神・父全能者 天と地見えると見えざる万物を造りし主を・・・

そもそも、ヘブライで創造主の神の”自己紹介=YHWH”が
”私は在りて在るもの”だったのではないでしょうか?
そして神は、愚かなぴーめん(^^♪にも解るように、”隣人愛”を
体感できる方法で昨夜、示して下さったのだと思います。

ぴーめん(^^♪は昨夜、”隣人愛”を”在るもの”として”体感”しました。
”隣人愛=相手を喜ばせてあげたい、楽しませてあげたい”という気持ちが
伝わり、それ以上の”形”で返って来ました。

”隣人愛”という形のないものが確かに存在し、それが極めて身近なところにある。
なるほど”身近な愛”が”隣人愛”でしょうから。

そして忘れてはならない・・・
ぴーめん(^^♪が正教会に導かれ、パウェル兄と出会って以来の、兄のぴーめん(^^♪
に対する”隣人愛”というより、”弟に対するようなフィレオー”に
改めて感謝!!いたします。”愛は寛容である”のお手本をいつも示して下さっています。

”隣人愛のキャッチボール”は”喜び”を伴うものだと思います。
それあらばこそ、マザー・テレサも奥田知志牧師も、喜びに満ちた表情で
”奉仕”にあたっておられるのだと思います。

そしてぴーめん(^^♪は、Angel77さんの掲示板を、
「隣人愛のキャッチボールができるフィールド」としてプレイしたいと思います。
Angel77さん Akiさん
これからもよろしくお願い申し上げます<m(__)m>
 

宗教法人の悪用について

 投稿者:パウェル  投稿日:2009年 7月 1日(水)10時20分35秒
  みなさんに

 宗教法人がいろいろな面で優遇されていることを悪用する団体は沢山あると思います。そんな事件が報道されると、教会活動をしている私も、私が法人の主催者ではないですが、肩身の狭い思いがします。

 残念ながら、このようなことは避けられないと思います。人間の社会がそういうものだからです。

 宗教法人を利用する団体は、「宗教」ですらないと思います。
 日本では、過去において宗教を弾圧した歴史があります。キリスト教もその中に飲み込まれ、国体に合わせるような「教義に反する」行動をとらされたことがあったようです。

 少しの悪を根絶しようとすると弊害が大きいことは歴史が教えています。

 宗教法人ではないですが、障害者団体をかたった郵便料金の不正利用や、公益法人の宗旨から外れた漢字検定の団体もあります。
 利益に群がるのは、何も宗教法人に限りません。

 それらの糾弾は必要でしょうが、そのためばかりにエネルギーを避けないのも事実です。
 人はそれぞれおかれた立場と条件が違うので、その中で、私の場合ならば、信仰にしたがって生きるよう日々努力する程度しか出来ません。
 

(無題)

 投稿者:パウェル  投稿日:2009年 7月 1日(水)07時56分5秒
  Angelさん、Akiさん、みなさん

 臨死体験について話題がでましたので、簡単に私の考えを。

○臨死体験は、文字通り、死に臨んだ、体験なので、死そのものの体験ではないと考えております。ですから、その時の体験は、文化的・社会的背景を反映することは多いにあり得ます。

○しかし、そのような場に臨んで、明白な体験を持ち帰ること自体は、何かしら、神の働きのようなものがある、と考えざるを得ません。

○私は、理科系の人間なのて、物理的存在、言い換えると、いわゆる科学の力で証明あるいは説明できる、と言ういみでの天国とか来世の存在は信じていません。

○ただ、天国とか来世は、物理的に証明できなければ存在しないものなのか、と言う疑問はあります。私は、物理的に証明できないものが、「存在」していてもよいと思います。存在と言う言葉がすでに、物理的見方の範囲の言葉なので矛盾でもありますが。

○奇跡の多くは、「合理的に説明できない」もののような気がします。しかし、それは「存在」するものだと思います。

○価値観として、物理的合理性が幅をきかせていますが、私たちが生きるためにそれが最善なのでしょうか。
 科学技術の振興には、物理的合理性は大きな力がありました。しかし、それは必ずしも人を幸福にはしてませんですね。
 生きるための価値観は、合理性だけではない、と言うことです。


 以上、とりとめないことを書きましたが、私には、何か超越的なものを信ずる気持ちがあります。と言うより、あって当然だと思っています。
 

”隣人愛”を証しします!

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 7月 1日(水)04時00分14秒
  Angel77さん Akiさん パウェル兄
つい昨夜、ぴーめん(^^♪が体験しました”隣人愛”を証しましょう。

自宅近くに、上海出身の方が経営している中華料理店がありまして、
そのマスターと懇意になりました。ご夫婦とシェフ、そして4歳のカワイイ女の子が
たまにお店で遊んでいます。女の子は遊びたいのに遊び道具がなくて、雑誌をパラパラ
いじったりしていました。ぴーめん(^^♪はひらめきまして、自宅に買ってあった
パンダの人形を後日持って行ってあげました。手を入れて、パンダの口をパクパク
させられる構造になっています。(セサミ・ストリートのパペットみたいに)

「これに手を入れて、”ニーハオ!”ってやってあげたらお譲ちゃん
喜ぶんじゃないかナ?」

そうしたら後日道で親子に挨拶されまして、とても喜んでくれていることがわかりました。

「自分を歓迎してくれるお店に行けば、癒されるのでは?」

とまた後日出かけて行きましたら、マスターがノートPCを操っていました。
テレサ・テンのファンだというので、youtubeを教えてあげました。
そうしましたら、とても喜んでくれまして、生ビールを二杯もごちそうしてくれました。
http://www.youtube.com/watch?v=6tttrvUzAn4

お嬢ちゃんがいましたので、店のチラシを折り紙にして鶴やかぶとや飛行機を折ってあげたらこれまたとても喜んでくれました。

そして昨夜、ギターを持って出かけて行きました。お客さんの中に、上海に住んだことのある広告会社の会社社長さんと韓国人の青年のお二人のテーブルがありました。

韓国人の青年に韓国語で挨拶して打ち解け、店が空いて来た頃ギターの弾き語りで韓国や
中国の歌や演歌やGSなど歌いましたら、社長さんが喜んで下さいまして、
「私の色んな会合に来て歌って欲しい!」
というオファーをもらいました。もちろん喜んでお受けしました。
その上この社長さんは、ぴーめん(^^♪の勘定まで払って下さいました。感謝!!

一方このお店のマスターは、かなりインテリで色んなことを知っておられます。
” Honesty is the best policy 正直にまさる方針はなし!”がモットーのようです。
だから素晴らしい”出会い”がある。

社長さんには、7月7日(火)の”P”というお店でのぴーめん(^^♪のライブにも
お出かけ下さるようお願いしました。すると何と!不思議なことにこの社長さんは、
”P”のマスターと既にオトモダチだったのであります!!!

さてパウェル兄、
ぴーめん(^^♪のポップココーン七夕ライブにお出かけ頂けるそうでウレシイ!のですが、当日その前に、この素晴らしいお店”N亭”にお連れしたいと思います。
マスターもママさんも良い人ですし、餃子もラーメンもおいしいですヨ!
期待していてくださいね。

・・・・”情け(隣人愛)は人のためならず。自分にも必ず返って来る。”
を実感した夜でした。
 

みんなみんな生きていようよ!! 生きようよ・・・!!

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月29日(月)20時15分2秒
 編集済
   パウェルさん ぴーめんさん Akiさん みなさん

パウェルさん本当にお久しぶりです。
時を得たコメントありがとうございました。

そしてぴーめんさん
>自殺者の気持ちは、「死にたい!」ではなく、
>「本当は死にたくない!助けて!」
>というのが本音だと思います。

私もまったく同感です。

いずみたく さんの「手のひらを太陽に」の歌にもあるように
生き物はある意味で友達であるなら、まして人間同士はなおさらです。
その人間同士が、たすけを求めている仲間に対して
「死ぬならどうぞ〜」は、ひどすぎますよね・・・・・・

今夜は、下 ↓ のサイトに行って、大声で「手のひらを太陽に」の
歌を歌いませんか・・・・・
下記のURLが 歌を紹介しているサイトです。

http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/tenohirawo_taiyouni.htm

 

本当は誰も死にたくないです

 投稿者:パウェル  投稿日:2009年 6月28日(日)22時48分10秒
  皆さんに

 自殺者は最後の最後まで助けを求めています。
 自殺をほのめかす人と議論してはなりません。議論は見かけです。
 本当は、助けを求めているのですから。

 私も、若い頃、思春期と言ってよいでしょうが、何度も死を考えました。死の正当化を頭の中で反復しました。もし、話す相手がいたら、死のための理論武装を強固にしたと思います。
 幸い、それは自分の頭の中だけで止まり、死を強烈に求める心の反対側に否定することのできない、死にたくない、と言う気持ちがあることを知りました。
 さらに、死にたいと思うのは、誰かへの当てつけ、言い換えるならば、私を構ってください、と言う求愛のメッセージである、と知りました。

 見慣れないタイトルがあったので、つい、おしゃべりしてしまいました。
 ご容赦を。



 「死ぬと言う人間に本当に死んだ試しがない」とも言われますが、それはとんでもない間違いです。突き放せば、崖ぷちにいるその人に飛び込む力を与えるだけです。
 話を聞き、受け止め、まずその危機を脱することです。

 肉親を自殺でなくしている人は大きな傷を負っています。私の語学の先生もそうです。息子さんは、正月に名古屋の実家に帰り、四日市の駅で死にました。先生は、なぜあのときに気づいてやらなかったのか、と今でも悔やまれています。
 客観的に言うならば、本当に追い詰められ、死ぬ覚悟をした人は、その覚悟が見破られないように周到に行動するので、それに気づくのは難しいです(それでいて、内心は、誰か気づいて欲しいと死ぬほどに願っているのに。妙な言い方ですが)。
 

なぜ”死にたい”のか?

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月28日(日)14時50分57秒
  Angel77さん、

>>この掲示板が、そういう意味で、生きる目的を見失った人々の心のオアシス
>>心の避難所としてはたらくことをのぞみたい。
ぴーめん(^^♪も全く同感!です。

”宗教”ではなく”信仰”です。
そして”信仰”は”信仰による行い”によってそれがあることが示されます。
                          (ヤコブ書)
それはほんの小さな行い、ちょっとした思いやりの言葉かも知れません。
”信仰による行い”は”隣人愛の実践”です。
”信仰”が十字架のタテの棒、”信仰による行い=隣人愛”が十字架のヨコの棒です。
”隣人愛”がなかったら十字架は完成しません。

十字架上の主イエスも左右の盗賊たちが、
「自分も”俺たち”も救ってみよ!」(左の盗賊)
「主よあなたが御国に行かれるとき”私たち”を思い出して下さい。」(右の盗賊)

主を信じた右の盗賊のみならず、「自分も”相棒も”救って欲しい!」と叫んだ
左の盗賊にも”隣人愛;仲間意識”を見て取って、
「アーメン、アーメン、”あなたがた”も今パラダイスにいる。」
として二人とも救われた・・・というのがぴーめん(^^♪流解釈です。
「自分をののしった男は地獄行き!」では、カルト宗教と一緒になってしまいます。
また、「主をののしって地獄行き」ならば、
私なんか何度地獄に落ちても足りません(~_~;)

”隣人愛”をあますところなく発揮してくださった、
幕末に来日された宣教師さんたち。学校や病院を建てて下さいました。
現代では、学校も病院も乱立気味・・・・

なれば、ヘボン先生やウィリアムズ先生が現代にもし生きておられたら、
どんな形で”隣人愛”を発揮されるでしょうか?
やはり年間3万人を数える自殺者を何とかしたい!と思ってくださるのでは
ないでしょうか?

自殺者の気持ちは、「死にたい!」ではなく、
「生きるのがイヤになった。」「希望を失った。」
「本当は死にたくない!助けて!」
というのが本音だと思います。

誰だって愛されるべきいのち。創造主の神の無限の愛を感じることによって、
生きる勇気と希望を与えられるのではないでしょうか?
 

死なないで・・・・!!

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月28日(日)11時38分53秒
 編集済
  今朝のテレビ朝日のサンデープロジェクトで、「急増する自殺者」の問題を

取り扱っていた。

警察庁や厚生労働省の調べによると、ここ11年連続で自殺者数は日本国内で

3万人を超えており、特に今年に入ってここ3ヶ月間は、1ヶ月に3,000人を

超える人が自殺している。

この数は1日100人の人が自殺していることになる。

自殺の多い東尋坊で、ボランティアで自殺防止を呼びかけている元警察官の方の談話に

よれば、最後の保護を受けたいと思って助けを求めた役所の福祉課の職員に

「死ぬならどうぞ・・」と言われたとか、本当に索漠とした日本、冷酷非情な世の中

になってきている・・・と警告されていた。

さて、この問題を世界に目を向けてみると、やはり統計上も自殺者が多いのは

日本であり、今では世界一の自殺大国になっているという。

以前、私はこの原因を、政治の貧困と企業の雇用対策以外に、日本人独特の

無宗教・無信仰にも起因しているとコメントしたが、むしろ自殺の要因の根幹には

生きる目的を見失った心の問題が根深くあるように思う。

この掲示板が、そういう意味で、生きる目的を見失った人々の心のオアシス

心の避難所としてはたらくことをのぞみたい。

http://www.j-cast.com/2009/02/11035582.html

 

想像を超えた世界

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月25日(木)17時16分1秒
  Angelさん
私は以前、聖心会シスター鈴木秀子さんの著書「生かされる理由」の中に、
ムーディ博士の「かいま見た死後の世界」がかなり詳しく紹介されていて
興味深く読みました。

鈴木さんご自身も暗闇の階段の一番上から落ちて臨死体験をされたようです。
印象に残っているのは、トンネルを通過するとき、あるいは光に包まれたとき、
人生のフラッシュバックがおこり、そこで問われるのは、
「愛をもって生きてきたか」だけだというのです。
すべての人の命が、その根元でつながり合い、互いの魂が影響を及ぼし合って
いることに気づくといいます。

鈴木さんはクリスチャンなので、その光をキリストのように感じられると
思うのですが、ムーディ博士が書かれているように、「日本の臨死体験者
たちの中には、この光の生命体を「菩薩」とか「仏」だと解釈したり、
インドであれば、ヒンズー教の神と解釈したりする人もいる」とかいうのは、
うなづけます。
私たちは自分が生きた世界の体験をもとに、想像し、解釈しているので
あって、死後の世界は、我々が「天国」として描く青空のもと、花が咲き乱れ、
美しい音楽が流れている・・・というような物質界の世界ではないかも知れません。

鈴木さんの著書のしめくくりは「死のすばらしさ、生きていることの喜び」
多くの死をまぎわにした人々と付き合ってきた彼女が一番伝え
たいことは、死は決して怖いものでなく、やすらかに次の世界に旅立てる
出発点であるということ、だからその死を迎えるまで、つまり生かされて
いる間はそれを喜びとし、誰かのために存在する意義を日々かみしめて
生きていくことが大切なのだということだと思います。

ぴーめんさん
私も数年前、この歌を紅白で初めて聴いたとき、その歌詞の深さに驚き、
誰が作ったのかなあと気になりました。やっぱり小椋佳さんでした。
この詩にあるような感覚は多くの日本人が持ち得るものだと思います。
「私は○○を信じています・・・」と公言する信仰の持ち方もすばらしい
と思いますが、
そうでなくとも、このように、人間というもの、生きるということの意味を
問い続けている人は信仰を持っているのと同じだと私は思います。
社会学者の鶴見和子さんが「私は宗教に属していないけれど、信仰は
持っている」と言われ、特に病を得てから、自分が大宇宙の中で、すべて
のものと調和して存在しているということを全感覚で実感すると言われて
いたのが心に残っています。
ぴーめんさんのすばらしい声でこの歌の心を多くの方に伝えてくださいね。
 

臨死体験と聖書・・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月24日(水)17時53分59秒
 編集済
   Akiさん

 臨死体験の体験がないAkiさんにとっては、死後の天国の聖書の記述やイエス様が
大(おお)真面目で語られた天国の数々の様子をすべて、人間が創りだした、想像力の
世界と思われるのも無理ないことと思います。なぜなら、日本人の大半の人々はAki
さんが思われたと同じようなことを感じられると思うからです。

しかし、私のホームページの随想でも述べさせていただいているように、医学博士で
世界の臨死体験者の体験をもとに書かれた「かいまみた死後の世界」の著述によれば、
その様子は「エデンの園」で語られている聖書の記述に非常によく似ているのです。
なお、この本の著者は、レイモンド・A・ムーディ・Jr博士(バージニア大学病院
の精神科医で、医学博士、また哲学博士という経歴を持っておられます)

これらの、問題を取り扱ったホームページが日本語版で掲載されているWebがありま
したので、もし興味がおありでした、一度たずねられ内容を吟味されたらと思います。
URL は 下記 ↓ です。

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rinshitaiken.htm

 

 ”山河”

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月24日(水)01時42分25秒
  http://www.youtube.com/watch?v=niwkGW2IJVk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=W3U_mgfoWlA
http://www.youtube.com/watch?v=E8XPVbvktBI&feature=related

Akiさん Angel77さん、

↑は、ぴーめん(^^♪が最近ハマッている歌”山河”です。
作詞 小椋佳 / 作曲 堀内孝雄(べーやん)/ 歌 五木ひろし

♪そしてついには 山河に帰る・・・

というくだりが、Angel77さんの言われる
>>エデンの園は私たちが通常の死に方をして、天国に行くとき、このように創造神の創られ>>た、天地一切のものに融合して溶け込んでいくのだと思えるのです。
という表現とピッタリ一致しますね。

ぴーめん(^^♪の記憶に間違いがなければ、作詞の小椋佳さんは、胃がんで入院
した経験がおありで、いのち〜人の生死というものにことさら問題意識を持たれた
のではないかと思います。
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-3a8f.html
 
    (管理人) Angel77
  ぴーめんさん 素敵なサイトの紹介ありgとうございました。
この歌の歌詞を熟読しましたが、ひとつひとつ重みと含みの
ある言葉で人生の原点を語っているように思えます。
人はみな、自然から生まれ、自然に帰っていくのですね。
 

想像力

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月20日(土)21時29分37秒
  「エデンの園」「永遠の命の世界」Angelさんのイメージは具体的で
わかりやすいですね。(笑)
>天国に行くとき、このように創造神の創られた、天地一切のものに融合して
>溶け込んでいくのだと思えるのです
というところは、私の感覚にもとても近いです。

でも、自然に対する考え方は少し違うのかなと思いました。
>人間が神によって創生され、花も鳥も野や山も人間のために
>神が創造された・・・・

私は、花も鳥も野や山に生きるものも、すべて等しく神が創られたものであり、
人間もその調和ある世界の中に存在するものの一つであるように感じます。
だから、最近の人間上位の考え方、人間が自然を支配できるという考え方には
もう、神の警鐘が・・・。

でもAngelさんがエデンの園をリアルにイメージされるように、
「想像力」は人間に与えられた特権なのですね。
そしてその想像力は人間を幸せにもし、また不安にもする・・・・。
 

続「エデンの園」

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月20日(土)11時50分19秒
 編集済
   エデンの園の話は、旧約聖書の創世記の記述であり、現在の人間の
死後に来る世界とはまったく無縁のものと思っていたのですが、先日の
某牧師の説教によれば、天国とはまさにエデンの園そのものであるとの
ことでした。
思えば、仏教で言われている「涅槃」は、エデンの園によくにています。
釈迦が菩提樹の下でみた涅槃の世界は、まさに森や山や川や動物や太陽や
月など、ありとあらゆる創造物が明るく燃えている・・・・一切が生き生きと
燃えている世界でした。
エデンの園は私たちが通常の死に方をして、天国に行くとき、このように
創造神の創られた、天地一切のものに融合して溶け込んでいくのだと思えるのです。
この世では実現できなかった、私たちが一番輝いた(人間はみな、このような時期に
戻りたいと願っていた)青春の真っ只中に帰っていくのです。そして、もはや老いる
ことはなく、病は無く死もないのです。それぞれが個性を持ち生前に成し遂げたいと
思っていた芸術活動や神を賛美する生き方が出来るのです。
お互いがお互いを言葉でなく表情ですべての意思の伝達ができ、その思いは希望は
直ちに現実のものとなるのです。
そこには、何の掟も拘束もありません。創造神の絶対的な信頼のもとで自由に自分の
欲することが瞬時に実現できるのです。
永遠の命の世界とは、まさに旧約聖書にしるされた、「エデンの園」の世界なのです。
 

「エデンの園」の人間

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月19日(金)22時58分27秒
 編集済
  「エデンの園」を追われる以前の人間の姿はどのようであったか・・・・
具体的に某牧師が説教の中で語られていたことと今回のAkiさんの
神を感じるときのコメントは共通する部分があるので話してみたいと思います。
エデンの園にいたときの人間の状況は、およそ人間に必要なものはすべて与えられて
いたとされています。もちろん病気も死もありませんでした。欲しいと思うものは
すべて瞬時に与えられました。天地は人間に必要なものを満たすために創造されて
いました。地上を移動するのも、違う場所に移動したいと思った瞬間にもう移動して
いたのです。食べ物も欲しいと思うものは瞬時に目の前に現れ与えられました。
動物も植物もみんな人間の為に用意されていたのです。

日本にも万葉集がつくられた時代には、おおらかな自然と共に生きる人間の姿が
描かれていますが、もともと人間は自然と共にあったと思われます。
そういう意味では、Akiさんがコメントされた・・・・・
>神について議論をしたり、考えたりするときよりも、この美しい花に
>じっと見入るときのほうが神を身近に感じます。
この言葉は、人間が神によって創生され、花も鳥も野や山も人間のために
神が創造されたとする旧約聖書の創世記の記述に近いのではないかと思える
のです。
 

神を感じるとき

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月17日(水)23時21分2秒
  Angelさん、楽譜、一度見てみますね。でも、新しく挑戦したい
曲が見つかってその楽譜とCDを注文したので(バッハの
「小プレリュードと小フーガ」・・・比較的易しいようです。CDはグールド)
これからしばらくは、それに没頭すると思います。
とにかく暗譜するのにバッハの曲は時間がかかるのです。(笑)

映画、見られたのですね。私は以前のダビンチ・コードのときに、
友人から借りて本を読みましたが、途中でやめてしまい、
今回の映画も興味が湧きませんでした。

最近、神について議論をしたり、考えたりするときよりも、この美しい花に
じっと見入るときのほうが神を身近に感じます。
 

映画「天使と悪魔」

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月17日(水)17時31分20秒
  先日、ダビンチコードの続編とも言われている映画「天使と悪魔」を
観たが最初のダビンチコードほどは面白くなかった。
ただ、ローマカトリック教会の強大さや、バチカンの権威と仕組みなどが
よくわかり現代史の勉強にはなった。
映画の中で、かってのカトリック教会が弾圧した著名な科学者への
処刑の事実などが語られていたところは、宗教も巨大な権力と富をもつと
とてつもなく恐ろしい組織に発展する危険性をはらんでいることの実感は
持てた。信仰のテーマは希薄なので信仰を深める目的のため観にいかれると
失望は大きいかも・・・・・・(笑)
 

ショパンのピアノ曲よかったです・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月16日(火)22時16分41秒
 編集済
  Akiさん、ショパンの曲の有名な演奏家のYouTube紹介ありがとう
ございました。
ほんとうに、おっしゃるように同じ曲でも弾き手によってずいぶん感じが違いますね。
それから、私が紹介した「オーケストラと弾くクラシックピアノ」は、試聴された
感じと実際に楽譜をみられた感じでは随分違いますので、一度本屋さんの店頭で
楽譜を見られたらいかがでしょう・・・。きっとAkiさんなら、ほとんどの曲が
お弾きになられると思いますよ。
もし、楽譜を買われたらまた弾かれた曲をファイルにしてお送りください。
このホームページでも紹介させていただきます。
 

(無題)

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月15日(月)17時21分24秒
  がんばってくださいね!

Angelさん、楽譜の紹介、ありがとうございます。行って聴いてみました。
私の弾けるのは、2曲しかありませんでしたが、オーケストラと弾くなんて、
ちょっと考えたこともありません。(笑)

そういえば、いろいろなピアニストのショパンのピアノ協奏曲第一番
(ブーニン、アシュケナージ、ルービンシュタイン、アルゲリッチなど)を
You Tubeで聴いていますが、第一楽章の導入部分で、オーケストラの演奏が
長いので、緊張して待っておられるのが伝わってきます。
それに、最初のピアノの出だしがとても難しいですね。
でも第二楽章はメロディーがとても美しいです。
合わせられるようになると楽しいでしょうね。

ただCDに合わせてピアノを弾こうとすると、ボリュームをあげないと
だめなので、イヤホーンにしないと自宅練習は無理でしょ?

http://www.youtube.com/watch?v=dZU01P2ojhE&feature=related

 

珍しい楽譜(CD付き)の紹介・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月14日(日)22時29分15秒
 編集済
   最近、珍しい楽譜を手に入れました。それは、「オーケストラと弾くクラシックピアノ」
と題して(株)リットーミュージックから出版されているCD付きの楽譜の本です。
楽譜はピアノソロ部分だけが印刷されていますが、CDは、2枚あり1枚は完成された
オーケストラとピアノの共演が収録されていて、もう1枚は、ピアノ部分だけが抜かれた
オーケストラ部分だけのいわゆるカラオケCDです。
ピアノの演奏者はこの本の楽譜とカラオケCDを聴きながら演奏すれば
オーケストラと共演していることになります。
内容はラフマニノフとモーツアルトそして、チャイコフスキーの各ピアノ協奏曲。
そのほか、有名なピアノ曲をオーケストラと共演するようにアレンジしたもの
(ドビッシーの「月の光」やショパンの「別れの曲」など)があります。
全部で14曲ありピアノ独習書としても楽しいです。
詳しくは、下記のサイトでその全容をお調べください・・・
私、個人の感想としては・・・・・・・
アレンジは比較的弾きやすく編集されていますし、楽しく親しめる楽譜だと思って
います。ただ、大好きなショパンのピアノ協奏曲第1番がないのが残念でしたが・・・
URLは、  ↓ です。(下のサイトに行って下段の方で全曲、試聴できるように
なっています)

http://www.rittor-music.co.jp/hp/score/piano_data/08417206.html

 

最近の宗教法人の三面記事を見ていると・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月11日(木)21時17分46秒
 編集済
   ぴーめんさん Akiさん みなさん

 最近の宗教法人の三面記事を見ていると・・・ぴーめんさんが書かれていることも
よく理解できます。
まず、先日起こった、某宗教法人のラブホテル経営の売り上げの一部をお布施として
非課税で経理処理していた事件も、また。今夕、報道された統一教会の印鑑の高額霊感商品
売りつけも共に宗教法人の経済活動に伴う違法行為でした。
これとよく似た事例は他の宗教でもあるのでしょうが、どうも最近は、各宗教団体は
真の伝道活動を行っているのではなく、むしろ宗教法人に名を借りた脱税行為や違法
収益獲得に力が注がれているような気がしてならないのです、
宗教法人は税法上かなり優遇されていることも、その原因のひとつにはなっているので
しょうが、それ以前の問題として新興宗教はべつとしても、古来からの宗教も創始者の
当初の崇高な精神がいつのまにか消えうせていることも事実だと思います。
そういう意味では、宗教と信仰はまったく異質のもの・・・と割り切って考えるほうが
妥当かもしれません。
 

そして”信仰と宗教”

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月10日(水)19時32分44秒
  Angel77さん 連続投稿ご容赦ください。

”見えてきた”思いがしますので・・・
”信仰と宗教は違う!”というのがぴーめん(^^♪が最近たどり着いた悟りです。
色んな”教会と呼ばれる物体”の中で七転八倒した末の・・・

”神への思い””神へのささげもの”すなわち”信仰”を、”中身のない宗教的儀式”
に置き換えてしまった例は、創世記第一章にすでに見られると思うのです。
カインとアベルのささげもの。”信仰”をもって捧げたアベルのささげものに神は
目を留められ、”宗教的儀式”に堕してしまったカインのささげものに神は目を
留められなかった。神様に抗議できないアベルは弟アベルに八つ当たりしたんですね。
また、”信仰”を見失っていない弟アベルに嫉妬して、殺した。

このように、”信仰を見失って代替的な宗教にコミットしている者”が、
”信仰を持ち続けている者”に嫉妬して迫害する・・・と言ったら、
教会やキリスト教の歴史が見えてくるのではないでしょうか?

カインがアベルを殺したことに始まって・・・

古代教会によるネストリウス派の追放・・・インドのゴア、中国(唐)の都に移って
”景教”を開きました。追放したキュリロス(キリル)とネストリウス(派)と
どちらが神に用いられているか?

✝人、我がためになんじらをキンチク(追放)しなんじらをののしりなんじらのことを
 偽りてもろもろの悪しき言葉を言わん時、なんじら幸いなり

・・・どちらがキンチクしてどちらがされながら”福音”を伝えたのか???
どちらが弘法大師空海に古代の福音を伝えたのか?

中世カトリック教会に対し、ルター、カルビン
どちらがカネ集めにコミットし、どちらが”信仰義認”を打ち出したか?

カトリックから国ぐるみで”宗教改革?”を行なった英国王ヘンリー八世。
しかしその娘メアリ女王(ブラッディメアリ)は、プロテスタントの指導者たちを
次々血祭りにあげ、迫害された人々に中に、
ジョン・スミス  (バプテスト派の始祖。アメリカに渡って現代では最大派閥)
ジョン・ウェスレー(メソジスト派;国教会の司祭の地位は保たれていたが随分イジメに 遭ったそう。これも現代アメリカでは2番目信徒数の多い教派)
ジョン・ウィクリフ(聖書を英語に翻訳したかどで死刑になった。現代では彼の翻訳聖書 が見直されて来ている。)

このように、”信仰を見失い、世俗的な欲に狂って宗教権力の亡者と化したものたち”が、”信仰を持ち続けている人々”に嫉妬して、迫害した歴史がキリスト教の歴史ではないでしょうか? ”カインとアベル”がその後の歴史で何度も繰り返されている。

聖フランシスコも最初はそうでした。”信仰”に目覚めた教皇インノチェンティ三世
によって、彼は命と信仰を保たれたわけですね。

教会で行なわれる”礼拝””奉神礼””聖餐式””聖体拝領・聖体礼儀”
・・・”信仰による行い”なのか?”宗教的儀式”に堕してしまっているのか?
”猛省”を促したいですね。

自閉症の子供さんの心を開いたのは、”ご聖体”ではなく、正教会のバザーに信徒の友人が
寄付してくれたシフォンケーキでした。
ぴーめん(^^♪が尊敬する玉木牧師の心と体を慰めたのは、聖公会の”聖餐”ではなく、
同じ聖公会の女性信徒さんたちが焼いたマドレーヌでした。

✝”ご聖餐”とか”ご聖体”とか、何か特別に尊いものであるかのように
  うぬぼれるんじゃないよ!この世全体が”キリストのからだ”なんだから

という神のメッセージに思えて仕方ないぴーめん(^^♪です。
 

内在するリズム

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月10日(水)18時02分12秒
  ぴーめんさん、いろいろ教えていただいてありがとうございます。
バッハはルター正統派の信仰を守っていたけれど、当時、カルヴァン派との対立
もあり、子弟の教育予算も派閥の勢力で決まったとか、聞いたことがあります。

紹介していただいたオルガンの演奏、すばらしいですね。足を見ていると、
こんなに音楽が楽しく演奏できたら、どんなにいいだろうとうらやましくなります。
私は以前からバッハの音楽には、身体を自然に動かしたくなるリズムがあるの
を感じていました。強弱が出せない鍵盤楽器の時代、バッハは高揚する感情を
テンポのアップしていくリズムで表現したのだと思います。聞いていると踊り
だしたくなるような感じ。(笑)だからジャズに、よくバッハの曲がとりあげられ
るのでしょうね。

ジャズといえば・・・数日前の新聞にトルコ人のピアニスト、ファジル・サイ
さんが「音楽のジャンルや国境を越え、クロスオーバーせよ」というタイトルで、
「ベートーヴェンはキース・ジャレットのように演奏したはずだ。」
と心の内なる声を取り出すことが音楽には必要と書かれていました。
私の持っているキース・ジャレットのCDはヘンデルの「クラブサン組曲」
とかの有名な「ケルン大聖堂での即興演奏」です。とても美しい音楽だと
思っていたので、この記事を読んで嬉しかったです。
ファジル・サイさんのピアノもすばらしいです。
7月12日に「題名のない音楽会」に出演予定とか。

http://www.youtube.com/watch?v=yZPrxvJ69zE&feature=related

 

音楽と信仰

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月10日(水)03時22分3秒
  Akiさん、ありがとうございます!

J.S.バッハに詳しいAkiさんのおかげで良い学びになりました。
バッハの旋法や和音はジャズにも影響を与えているそうですね。
http://www.youtube.com/results?search_query=bach+jazz&page=&utm_source=opensearch

ところで・・・
音楽家として最高峰のJ.S.バッハは、信仰者としても素晴らしい人だったようですね。
http://history.husigi.com/VHv2/koneta25.htm
”バッハ ルター”で検索しますと、色々出てきます。

J.S.バッハはルター派のクリスチャンとしても重要な人で、マルチン・ルターを
敬愛し、ルターから信仰のみならず音楽も学んだそうですね。
(地元のルター派の教会にお邪魔したとき頂いた教会案内に
 ルター博士の肖像画の下にJ.S.バッハの肖像画が載っていました。)

逆に言えば、マルチン・ルターは”イデオロギーを旗印にした革命家”ではなく、
その中心は”音楽と信仰”の人だったように思います。

・・・このあたり、彼から名前を取った マルチン・ルーサー・キングJr.牧師
にも似ているんですが、知り合いのジャズメンが、
「キング牧師は”解放者”だから、特に黒人のミュージシャンはみんな彼を
尊敬しているよ。」と言っていましたね。

ルターの”信仰義認”は、聖パウロの書簡 ガラテヤ書やロマ書を根拠と
したもので、ことにガラテヤ書が宗教改革の原動力となった書簡だそうです。
http://www.holyhope.net/M-gal01.htm
 

音楽と信仰

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月10日(水)02時43分19秒
  Akiさん ありがとうございます。
こちらこそ、J.S.バッハのこと教えて頂けて、良い学びになりました。
バッハの旋法、和音はジャズミュージシャンにも影響を与えているそうですね。
 

いいお話ですね!

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月 9日(火)17時09分9秒
  ぴーめんさん、ありがとうございます。
人生においていつか、自己をとるか、他をとるか、迫られるような
試練がやってくるかも知れませんが、平凡な日常を与えられている今、
「隣人愛」をぴーめんさんがおっしゃるように解釈していいのかなと・・・・。

バッハが今なおドイツの人々に愛されているのは、彼がすぐれた作曲家
であっただけでなく、毎週のようにカンタータやコラールを作曲、演奏し、
長年教会(人々)のために尽くした人物であったこと、またたくさんの子弟を
育てるべく努力した教育熱心な父親であり、先生だったということもあるかも
知れません。頑固一徹なドイツ人!これがバッハという人物の魅力です。

バッハのすごいところは、教会の音楽監督や宮廷楽長として働きながら、
膨大な数の音楽を創り出し、そのどれもが、すばらしいこと。
私の持っているバッハの本にも皆川先生の寄稿が載っていました。(笑)
そこには、バッハはあらゆる古楽の構成や作曲法を勉強して自分の
作品に生かしていると書かれていて、先生はバッハ以前の音楽
(中世からルネッサンス時代の宗教音楽)を研究していく中で
改めてバッハの桁外れのスケールの大きさに感動したとも書いておられました。

ところで私はバッハの教会音楽も好きですが、彼がケーテン時代、
宮廷楽長として活躍していた頃に書かれた協奏曲、管弦楽、チェロや
ヴァイオリンの無伴奏作品、そしてクラヴィーア曲集などの作品も好きです。
またいくつかのやさしい作品、小プレリュードにも不思議な魅力を感じます。
これはグールドが弾いているBWV934です。これはチェンバロのものより
ピアノの曲が美しいと思います。さすが・・・グールドという感じ。

http://www.youtube.com/watch?v=JiLMGXJuWsE

 

ささやかな”隣人愛”を・・・

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月 8日(月)11時28分3秒
  Akiさん

”隣人愛”というと何か堅苦しくなってしまいそうですが、
どんな小さなことでも人に喜んでもらえることをすることではないでしょうか?
これを真言密教では”布施波羅蜜”とか言うそうですが。

そこで”隣人愛の言いだしっぺ”のぴーめん(^^♪から、J.S.バッハのファンの
Akiさんにささやかな”隣人愛”を・・・

先日ご紹介しました、皆川達夫先生のナマの講義の一節を思い出しました。
先生がドイツに行かれたとき、J.S.バッハのお墓に花を捧げようと、
花売りのおじいさんから花を買ったときのこと・・・

「おお、日本からはるばるバッハの墓に花を捧げに来て下さったのか?
やあ、ありがとう!ありがとう!」

とおじいさんは、涙を浮かべて喜んでくれたとのこと。
それほどJ.S.バッハは、ドイツでは庶民にも親しまれている作曲家
だということですね。

皆川先生は、
「果たして逆に、ドイツ人が日本に近松門左衛門の墓に花を捧げに来てくれた
時にこれほど感動できるのだろうか?」
とも仰っていました。少年時代は謡曲に親しまれた皆川先生は、邦楽にも西洋音楽
にも造詣が深いのですね。

その皆川先生が、
「J.S.バッハこそが教会音楽の最高峰!」と仰っていたことは
先日ご紹介したとおりです。

・・・・Akiさん、こんな話、喜んでいただけるかナ?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%86%E5%B7%9D%E9%81%94%E5%A4%AB

 

私たちの生き方は?

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月 7日(日)23時44分1秒
  Angelさん
今夜の大河ドラマは、特によかったです。人間の生きる原点が、
心の支えどころがどこにあるのかを考えさせる場面がたくさん
ありました。そして旗に掲げられた「義」と「愛」の文字がまた
心を打つすばらしいものでした。

今、このようなドラマが制作されたり、ある政治家が「愛のある政治」
をスローガンに掲げたりするということは、Angelさんがおっしゃる
ように現代社会に如何に「愛」が欠けているかということに
ほかならないでしょう。でも、

>これらの心がまったく消え去った今の日本の人々には
>今いちど心して聴いてほしい言葉である。

とAngelさんは書かれていますが、忘れてはならないのは、
私たち自身が今の社会を構成している一員であり、どこかに、
その責任の一端があるということです。

では、政治家でもない、経営者でもない自分が、この社会で
どう生きていったらいいのか・・・
思いつくのは、とても小さなことです。身近な愛、ぴーめんさんがよく
言われている「隣人愛」それを頭に、毎日自分ができる小さな実践
を積み重ねていく・・・それ以外に見つかりません・・・・。
 

「義と愛」今夜のNHK大河ドラマから・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月 7日(日)19時35分9秒
 編集済
   今夜のNHK大河ドラマ「天地人」で放映されるのは
上杉景勝の上洛にさいしての、旗の文字である。
上杉謙信時代からの「義」は当然のこととして、家老
直江兼続が兜に掲げた「愛」も、もう一方の旗に掲げられた。
劇中で「愛とは人が人をたすけ、慈しみ合うこと・・・」と
言わしめているが、これらの心がまったく消え去った今の日本の人々には
今いちど心して聴いてほしい言葉である。
政治家しかり・・・・経営者しかり・・・およそ人の上にたつ人々の
こころに、こうした思いはゼロにひとしいと言っても過言ではなかろうか・・・。

しかし、2000年前のイエス・キリストの教えはまさにこの「義と愛」であった。
「義」の文字の成り立ちは、羊が矢で射られそうになったとき、その矢に飛び込んで
羊を救う・・・という語源からなる。
およそ人の上に立つ人々の心情には、自分を支えてくれている国民や社員の献身を
受け止めてこれに報いなければならない。政治家は貧しい暮らしの中からでも、
血の出るような税金を納めてくれている国民の心に報いる政治を、そして経営者は
自分の会社を支え心血を注いで働いてくれている社員の愛に義をもって応えねばなら
ない・・・と思われる。
今夜のNHKの大河ドラマはこの意味で意義あるドラマであったと思う。
 

そう、それこそ・・・・

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月 5日(金)23時37分57秒
  Angel77さん、
それこそ、”信仰と宗教の違い”ですね。
ぴーめん(^^♪の友人の占い師さんも、高野山で修行を積んだ僧侶と親しいそうです。
しかし・・・

”高僧”に限らず、目の前の相手に自然な気持ちで施すならば、
”隣人愛=慈愛”を持った人と言えるのではないでしょうか?
かのマザー・テレサも路上で行き倒れている老婆を病院に運ぶことから
始められたそうですし。

なるほどお寺も教会も”宗教ビジネス”に成り下がっているところが多いですね。
しかもカンバンだけは大事にしてプライドだけ立派・・・

それだけに、”隣人愛を持った人”との出会いが本当に大切になってきますね。

✝あなたも行って同じようにしなさい (ルカ伝10章)
 

かなりの高僧なら・・・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 6月 5日(金)22時18分39秒
 編集済
   ぴーめんさん Akiさん みなさん

ぴーめんさんのコメントされた教派を超えた共通の世界観を昔の高僧達はたしかに
持っていたであろうと私も思います。
しかし、現在のお葬式や法事屋さん的な、お寺屋さんはそういう認識は無いように
思います。
現在のキリスト教会がぴーめんさんがおっしゃるように「仏教や神道は忌むべき異教習慣」
と位置づけているように、お寺屋さんは、檀家を奪われるかもしれない、商売敵くらいに
しか思っていないでしょう。
なぜなら、現在の日本の大半の仏教徒と僧侶は世間体のために、お墓を守りお墓に
念仏を唱え、法要をし、また、檀家のお葬式の中心的役割をはたす、ビジネス業者
だからです。そこには、昔の高僧が悟っていたであろう、宇宙の創造主である大日如来や
万物を生み出す大宇宙の法則(仏法)の実感は現代の僧侶屋さんにはとうてい悟りえない
ことがらだと思うからです。
また、一方でキリスト教の牧師や神父の多くも、天地創造の神の実感や父と子と聖霊の
実感も体感していないであろうと感じるからです。
もちろん、一部の例外はあり、現代のような金権拝金主義の世の中においてもこれらの
世俗の世界から遠ざかり、キリストの臨在を全身で受け止めながら生きている指導者も
おられることは事実ですが・・・・・・。
 

宗教を超えた隣人愛?

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月 5日(金)01時38分19秒
  Akiさん ありがとうございます。

Angelさん
次々に申し上げて恐縮ですが・・・
心ある仏教者はキリスト者に援助をしてくれていたのではないか?と思い当たりました。
実はぴーめん(^^♪は、弘法大師空海の占星術などで占ってくれる美人の占い師さんと
交流していまして、昨日も会ってきました。彼女との出会いも不思議な導きと感じています。
(正直言いまして、美人の彼女と仲良くなりたい本音もあります。スミマセン<m(__)m>)

でも、彼女がブースを構えている場所の近くに真言宗のお寺があり、彼女もそれを意識していまして、自分の前世が長崎の殉教者だったと言います。

ぴーめん(^^♪がそこを訪ねたとき教えてもらったのが・・・・
何とそのお寺の近くに隠れキリシタン(私の地元にもいたんですね)の処刑場があり、
処刑されたキリシタンのなきがらを、哀れに思ったお寺の関係者が幕府に内緒で
弔ってあげて、その名残として、小さな十字架の印のついた”キリシタン灯篭”
が残っているというので見せてもらいました。
・・・”良きサマリヤ人の隣人愛”ですね。

思えば、幕末に来日した日本聖公会を建てたC.M.ウィリアムズ主教は、長崎の崇福寺という
禅宗のお寺で伝道を初め、
http://plaza.rakuten.co.jp/yanyan2002/diary/200710160000/

横浜のJ.C.ヘップバーン(通称ヘボン)博士も浄土宗の成仏寺
というお寺に寄宿して伝道を始められたそうです。
http://hamakazuchan.web.infoseek.co.jp/birthplace/hepburn.html

そうしてみると、当時のわが国の仏教者たちにとって、キリスト者は忌み嫌うものではなく、”保護して庇ってあげなければならない人たち”に思えたのではないでしょうか?

そして長崎の隠れキリシタンの人々も、カムフラージュしてくれる仏教関係者がいたことを、誰あろう皆川達夫先生の音楽の講義で拝聴したことを思い出しました。

「宗教の違いを超えた隣人愛」

ぴーめん(^^♪が最初に行った福音派(もどき?)の教会では、
「仏教や神道は忌むべき異教習慣」と教えられました。本当にそうでしょうか?
高野山金剛峰寺に”景教の碑”があることを鑑みても、”仏基一元”というのが
絵空事に思えなくなって来ているぴーめん(^^♪です。

そして弘法大師空海を奉じる美人占い師にはこう言いました。
「日本人のクリスチャンがキリストを本当に理解するためには、
弘法大師空海の助けが必要なのではないか?」

・・・”真言=まことの言葉=ロゴス=キリスト”
 

ぴーめんさん

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月 3日(水)23時26分25秒
  すばらしいサイトを紹介していただいて、感謝します。
私がバッハの音楽を好きになったのは、NHKのFM「バロック音楽の楽しみ」
を聴いていたことも大きかったというのを思い出しました。
バッハだけでなくイタリアバロックのいろんな音楽が流れてとても楽しみ
でした。朝、まだふとんの中にいて聴いていました。(笑)
皆川先生だったのですね。立教大学も馴染みが深いです。

「オラショ」というのも前に教えていただいたような気がします。
「音楽が人を救える」ことを実感されたなんて、やっぱり極める方は
すごいですね。
そして江場先生のサイトもよかったです。

今夜は早く寝ようと思っていたのに、「世界の祈り」を次々に読んで
いて今になりました。でもまだまだ読み切れません。つづきを少しずつ
楽しみます。おやすみなさい。
 

隠れキリシタンの聖歌”オラショ”

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 6月 3日(水)01時37分36秒
  Angel77さん、Akiさん、みなさん

ぴーめん(^^♪が昔、まかり間違って合格してしまった立教大学
(日本聖公会を建てられたC.M.ウィリアムズ主教が建てられた大学)
に、皆川達夫先生という音楽の大家がおられました。
この先生は純粋に音楽に人生を賭けられた方だと思うのですが、
クリスチャンかどうかわかりませんが、皆川先生を音楽家にさせた
音楽が、隠れキリシタンの聖歌”オラショ”だというのです。

西洋音楽に造詣が深い先生だと思っていましたが、ご専門は古代の宗教音楽。
「J.S.バッハが教会音楽の最高峰。」ともおっしゃっていましたが、
そもそもの原典は、長崎の隠れキリシタンの”オラショ”
明日は磔になるかもしれない極限状態の中で、仏教徒のふりをして
聖歌を歌い続けて来た人たちの音楽・・・だったそうです。

http://www.hikoboshi.com/eba/inori/inori80MinagawaTatuo.htm
http://www.yk.rim.or.jp/~guessac/orasho.html

今は”オラショ”はyoutubeで容易に聴くことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=87cHLrXVeUM&feature=PlayList&p=EA16918E41C57070&index=0&playnext=1

そしてぴーめん(^^♪は、この皆川先生の一般教養の音楽の講義をナマで聴かせて
頂いていたのであります。・・・・鳥肌が立っております。
 

バッハのコラールから

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 6月 2日(火)23時11分37秒
 編集済
  カンタータの21番リンクしてくださってありがとうございます。

私の好きなピアニストのひとり、Wilhelm Kempffが弾いておられるバッハは昔から
よく聴いていました。その中にみなさんがよく知っておられる曲がいくつかあります。

一つはBWV639の「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」(Ich ruf zu Dir,Herr Jesus Christ)そうそう「惑星ソラリス」の映画で有名です。
それからBWV659の「来たれ、異教徒の救い主よ」〔Nun komm der Heiden Heiland〕これもすばらしい曲です。
あとBWV751の「こころよき歓びの声にて」などもよく演奏されます。
YouTubeにもたくさんの演奏がUPされています。

http://www.youtube.com/watch?v=VN2dWpAoseA

 

バッハのカンタータ21番

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 5月31日(日)21時43分26秒
 編集済
   Akiさん ぴーめんさん みなさん

Akiさんが、コメントくださったバッハのカンタータ21番のMIDIが掲載されて

いるWebがありましたので、紹介させていただきます。

下記のサイトに行って、シンホニアの♪ をマウスでクリックするか、合唱の

ところなど聞きたいパートを選んでお聞きください。

http://sound.jp/bach-ken/cantatas/021data.html

 

バッハのカンタータ

 投稿者:Aki  投稿日:2009年 5月31日(日)16時34分55秒
  Angelさん
讃美歌の紹介、ありがとうございます。私は讃美歌にあまりなじみがありません。
なので、Angelさんのようにその曲に感動体験がおありになる方のように、
心を動かされることは少ないのです.

でもバッハの音楽が好きなので、コラール(讃美歌のようなもの)やカンタータ
(単声や合唱が組み合わさって6,7曲になっている器楽伴奏の声楽曲)
などは、ときどき聴いています。ドイツ語がわかりませんので、タイトルと
日本語の訳詞を読むくらいですが、タイトルと音楽の雰囲気からなんとなく、
その意味しているものが、わかります。
 21番、61番、82番、156番などが好きです。
またマタイ受難曲も、イヤホーンでたまに聴いています。

ぴーめんさん
 スケールが大きいですね。なんか心が晴れ晴れしますよ。
 

ペンテコステといえば・・・

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 5月31日(日)14時18分49秒
  Angel77さん、
正教会では新約での主のご復活を、旧約の出エジプト記の”過越祭”に絡めて
解釈しています。ですから東方教会では復活祭を”イースター”と呼ぶより
”パスハ=過越し”と呼ぶことが多いです。

そこで・・・
”ペンテコステ”に対応する旧約の箇所がないかと考えてみますと、
やはり出エジプト記で、モーセやアロンのユダヤの人々を連れ出すための雄弁、
エジプトのファラオに対する雄弁、説得力が、”聖霊降臨;異言”にあたるのでは
ないかと思い当たりました。

クリスチャンにとっては、主イエスは御父の発せられたことば=ホ・ロゴスとして
旧約時代も”初めから父とともにおられた(ヨハネ伝第一章)”のですから。
出エジプト記をアニメ化した、”Prince of Egypt”の主題歌、”When you believe”
の歌詞にも、”私がこんな言葉を口にするなんて思いもよらなかった!”
というくだりがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=CxIN79n4jVo

神は教会で歌われる讃美歌ももちろんですが、”信仰”を持って作られた歌にも
必ず働かれると信じているぴーめん(^^♪です。

また、出エジプト記;預言者モーセはクリスチャンのみならず、旧約聖書を奉じるユダヤ教徒、旧約聖書のうちモーセ五書を”トーラー(虎の巻の語源?)”と呼んで聖典としているイスラム教徒にも共通の大切な人ですから、”一神教三兄弟”;長男ユダ男くん、次男キリ男くん、三男イス男くんの和解にも力を貸してくれるのではないかと思っています。

先日、ぴーめん(^^♪がライブをやらせてもらっているお店で、イスラエルの人に
会いまして、”マイム・マイム”や”When you believe”をヘブライ語で歌って
もらえました。神は”全人類の一致”を望んでおられると思います。
http://www.youtube.com/watch?v=ZBgV0DK_FP4
 

ペンテコステ(聖霊降臨節)の日

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 5月31日(日)10時19分1秒
 編集済
  新約聖書 使徒言行録 2章 1節〜13節によれば・・・・・・

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした                                  (後略)
 今日の教会の礼拝は ペンテコステ(聖霊降臨節)の記念日として各地の教会で礼拝が
もたれています。
この日を記念に、新しいキリスト教会が始まったとされているのです。今から
私も、教会でペンテコステ礼拝をして参ります。

今日の賛美歌は、この日にふさわしい「安かれわが心よ」賛美歌298番
(新聖歌303番)   ↓  のサイトから聞いてください。

http://promises.cool.ne.jp/Be_still_my_soul.html

 

夕べの賛美歌「主を仰ぎ見れば」 賛美歌21 579番(新聖歌 199番)

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 5月30日(土)17時41分18秒
 編集済
   今夜の賛美歌は「主を仰ぎ見れば」 賛美歌21 579番(新聖歌 199番)です

この歌詞にもありますように、ひとたびイエスキリストの霊の翼の中に入れば

もはや、世の憂いも、悩みも不思議にすべて消え去って、新たな喜びが心の底から

湧いてきます。

この恵みと不思議は信仰者のみに与えられる不思議な体験です。

主を仰ぎ見れば 古きわれは
うつし世と共に とく去りゆき
我ならぬわれの あらわれきて
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(中略)

主ともにいませば つきぬ幸(さち)は
清き河のごと 湧きてながる
うるわし慕わし とわのみ国
うららに恵みの 日かげさせば
いのちの木の実は(永遠の命をいただいたわが身は)
みのりしげくもはや死の影も 悩みもなし
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(後略)

以下のサイトが、この賛美歌を掲載しているところです。

是非、一度お聞きください・・・・・・・。

http://promises.cool.ne.jp/When_I_look_up_the_Lord.html

 

今夜の賛美歌「我れ聞けりかなたには・・・」(賛美歌第二編136番)

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 5月30日(土)00時37分11秒
   今夜の賛美歌は賛美歌第二編136番「我れ聞けりかなたには・・・」です。

この曲は、穏やかで力強く、希望と喜びに満ち溢れています。

なんと言う恵み !・・・・なんと言う幸せ !・・・なんと言う喜びでしょう !・・・

臨終のおり、高らかに歌うであろう賛美歌の歌詞です・・・・!!

以下のリンク先サイトにてそのメロディーと歌詞をお聞き下さい。

http://promises.cool.ne.jp/The_Beautiful_City.html

 

毎夕賛美歌のWebを紹介させていただきたいです・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 5月28日(木)20時44分21秒
 編集済
   ぴーめんさん「タイタニック・・・」のコメントありがとうございました。
私もタイタニックの映画で一番感動したのは「主よみもとに近づかん」を最後まで
演奏し続けた楽団員の姿でした。今夜あらためてこの映画を思いだしながら
ヴァイオリンの音色を楽しませていただきました。

提案ですが、この掲示板で毎夕、もし、いい賛美歌や音楽のサイトが見つかれば
一日一曲ずつ紹介(リンク)させていただいたらどうかと思います。
ぴーめんさんも、もし、いいWebがありましたらよろしくお願い致します。

さて、今夜は下記のサイト(Web)を紹介致します。
演奏しておられるのは、新聖歌 102番 「主は命を」です。
きっと、癒されると思います。

http://promises.cool.ne.jp/Sacrifice.html

 

タイタニック号の最期

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 5月28日(木)17時03分13秒
  Angel77さん

讃美歌320番は、タイタニック号が沈没したとき楽団が最後まで演奏し続けた
曲だそうですね。中学校の英語の教科書にタイタニックの記事が載っていましたが、
The band continued playing・・・という文章がありました。
皆川達夫先生の人生を音楽に向かわせた”オラショ”と同様の感動を覚えますね。
死を目前にした乗客たちの恐怖を少しでもやわらげるために演奏し続けた楽団員たち。
まさに”ミュージシャンの鑑”に思えます。

そして讃美歌も、このような用い方をすることで重みを増すように感じますね。

http://www.youtube.com/watch?v=bCF5TWZS98k&feature=related

 

賛美歌320番「主よみもとに近づかん」

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 5月27日(水)00時24分25秒
   ぴーめんさん みなさん

賛美歌320番の、すごく素敵な伴奏と歌を披露しているサイトを見つけました。
一度、いかれてお聞きください。きっと癒されると思います。
下記がその YouTube のサイトです。

http://www.youtube.com/watch?v=bZNaoVVU5u0

 

もっとこなれた話をしましょうか?

 投稿者:ぴーめん(^^♪  投稿日:2009年 5月26日(火)02時58分32秒
  Angel77さん

まさに”ところ変われば品変わる”ですね。
ぴーめん(^^♪が最初に受洗したカルト的教会でも、確かに飲酒には否定的でした。
しかし縁あって導かれた聖公会(ぴーめん(^^♪の出身校の教会です。)の教会で
交歓留学で来ておられた韓国人の若い司祭夫妻と家族ぐるみのお付き合いをさせて
頂き、牧師館に食事に招待してもらいました。そのとき食卓にはしっかり缶ビール
が置かれていました。

また教会での結婚式の披露宴でも、シャンペンやビールやワインが自然に置かれて
いました。そもそも”聖餐式”はホスチア(ウェハース)とワインで行ないますから。

そんなぴーめん(^^♪が正教会に入信した直後、礼拝後に信徒さんが教会内でビールを
飲んでおられ、
「プロテスタントから転会して来られたなら、教会内でビールを飲んでいるのを
見たらつまづくのではないかい?」
と言われたので、
「いやいや、私は聖公会を経由していますからつまづきませんヨ!」
と答えました。

当然正教会でも聖体礼儀は、ワインを用います。アルコールの弱い人たちの
ためにお湯で薄めてありますけれども。

”主の晩餐”で用いられたのは、まず間違いなくワインだと思います。
正教会でのバザーの打ち上げや復活祭などでは、まさに”酒盛り”です。
飲酒の節度をわきまえない人が暴言を吐いたり、暴力を振るったり・・・

✝酒を飲んでもよいが、酒に”酔っては”ならない

と聖書にあるのは、こういう意味ではないでしょうか?
日本の民法には、”節度ある飲酒”という規定がありますが、
聖書の世界と何が違いましょう?また”節度”をわきまえることは
飲酒に限ったことではありませんね・・・・
 

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