自由掲示板(Angel77)


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なるほど・・・  投稿者:Aki  投稿日:2008年 5月13日(火)17時36分27秒    編集済
  Angelさんのコメントを読み、「そっかあ!」と思いました。
自分はあまり、頭でものを考える方じゃないので、ここで説明
されている分類では どちらかというと「内なる世界(五感で感じる世界)」
に目を向けて生きている方なのだ・・・と。
宗教的でも、芸術的でもないけれど。

昔、生きる意味などいろいろ考えたけれど、筋道だった教理で説明
される通りだと心から納得し、信じることはできないし、今も正直の
ところ、よくわかりません。ただわかるのは、自分の生きている
時間は短く、やがてそれは確実に消え去るのだということ。
だからこの生きている(生かされている)時間は、とても貴重だということ。
そして自分のおかれているこの世は確かに苦渋に満ちた世界ではあるけれど、
同時に喜びや安らぎも与えられています。

自分はその両方を十分に味わって生きるしかないのではないか。
必要以上に期待もしないけれど、落胆もしないで、ありのまま。
苦しい時は、苦しい!と叫び、嬉しいときは神に感謝の祈りを捧げて・・・。

私を生かしてくれている神は、きっと私をよきにはからって
くださるのだと信じています。

ピーメンさん

ブログ、拝見しました。ピーメンさんは、歌で大活躍されているのですね。
楽しそうで、すごい!と思いました。私は先週、日生劇場で「越路吹雪物語」
を見たんですよ。越路さんの歌は大好きでした。岩谷時子さんとの友情を軸
に描いてあったのですが、当日初日だったので、岩谷時子さんが、
見に来られました。車椅子でしたが、お元気そうでした。

コーちゃんを池畑慎之介さんが演じ、歌もお上手でした。
でも劇中にコーちゃんやピアフの歌が流れ、やっぱり・・・天才!
と思いました。岩谷さんが公演まであと3日という時に「愛の讃歌」
の訳詩をされる場面はとても迫力があってよかったです。
 

思考からくる世界観と五感で受け止める世界  投稿者:Angel77  投稿日:2008年 5月12日(月)06時33分8秒    編集済
  hiro binoさん Akiさん ピーメンさん

今、この掲示板で話題になっていることは、キリスト教的
世界観(神学)と自分自身の五感で受け止めている世界の
相違のようなことを話題にしているように思います。
前者のキリスト教的世界観(神学論)で、ものごとを観察して
いくと、確かにこの世は破滅に向かっているような気がします。
旧約聖書で、エデンの園を追われた人類の祖先がイエスキリストの
十字架の購いによって神の国へ戻れる道は開かれたわけですが
この世は依然として、殺人者カインの祖先の血が脈々と流れ、のろわれた
地は破滅に向かってまっしぐらに進んでいるような気もします。
地球温暖化や旧約聖書時代のソドムとゴモラの都市のような国々が
世界を覆っています。そこでは、争いと享楽と殺戮が繰り返され
混沌としたよどんだ空の下で人々は希望を失ってあえいでいます。
こうした世からは、輝かしい未来は見えず、ただただ聖書のヨハネ
黙示録に書かれた終末を待つのみの状況下にあるような気もします。
しかし、一方で世の中がどのような状況になっていても、人々の内なる
世界(五感で感じる世界)はそれぞれ心の持ちようでいかようにも変え得る
ものではないか・・・と思えるのです。
禅宗の僧侶やカトリックの修道僧のようにこの世を死にきって無限(無我)の
世界に、避難するもよし、また、音楽や絵画や美術の世界に浸りきって
ギリシャのディオニソスが実践したディオニソス的生き方(芸術や官能の世界に
埋没する生き方)を選ぶことも可能です。このように思考の世界で構築された終末論や
仏教的厭世主義を払拭して別次元の世界に生きる事も人間の生き方としてその
選択の自由は残されているようにも思えるのです。
 

hiro binoさんへ  投稿者:Aki  投稿日:2008年 5月 9日(金)00時20分38秒
  違っていてよかったです。(笑)
実は、hiro binoさんにお返事を書きながら、なんども私のひっかかって
いる部分を読み直してみました。けれど、本当は、内心納得はできませんでした。

「私たちの住む世界は、畏敬を持つに十分すぎるほど素晴らしいのですが、
もしかしたらこの世界は本当に破滅に向かっているかも知れないのです。」
という言葉を読みながら、
「でも・・・自分が全身の感受性でキャッチしていることを信じるしか
生きる道はない・・・」と思っていました。

ただ、先日書いて下さった私の質問に対する解答の中の「彼らは普通の
人々よりもずっと優れた理解力、洞察力を持っていたという意味では、
神に近づいたと言えますが、優れた能力を持っていることが「完全なこと」
であるかのように錯覚してしまったのかも知れません。」
というところは、私も理解できたので、
「美しい言葉に触れることは、心に喜びと希望をもたらしてくれますが、
口先だけではなくそれを現実に実行することは、非常に困難を伴うものです。
仰るようにこれは多くの思想家や神学者がつまずいてきた道でもあるのです。」
とのつながりは、よく理解できませんでしたが、一生懸命類推して
あのように書いてしまいました。

5月8日のhiro binoさんのお考えを読んで安心しました。
ここに書かれていたことは、ほとんど私の感性で理解でき、
納得できるものだったからです。
だから、違っていてよかったあ・・・と思ったのです。
共通の土台に立ってお話ができるような気がしましたから。
 

Akiさん、それはちょっと違います。  投稿者:hiro bino  投稿日:2008年 5月 8日(木)22時39分37秒
  Akiさん、こんばんは。

申し遅れましたが、こちらこそレスが大変遅くなってしまい申し訳ございません。
僕の言葉が足りないせいもあるでしょうが、(あまり、くどくど言うのが好きじゃないほうなので・・^^;)僕の言いたかったことがうまく伝わっていないようです。

>「美しい言葉や美しく見えるものを簡単に信じちゃいけないよ」
>「自分の見たものを絶対視しないように・・・まだ目に見えないものがある」

と仰られていますが、僕は「美しく見えるもの」とか「自分の見たもの」という言葉を一言も使っていませんし、美の存在そのものを懐疑の目で見なさいなどとは、思ってもいないし、考えたこともありません。ものの見方を云々言うつもりはありません。

むしろ、Akiさんが仰ったように僕も、
>「それは、ちょっとおおげさにいえば、創造主の計画の中で、その摂理に従いながら、整然として「在る」ことを感じさせるものです。
そして、この美しいものは、勿論、生きていくための慰めにもなるのですが、それ以上の力を持っています。絶望や孤独を払拭してくれ、生きる力を与えてくれることもあります。
つまり、その美しいものは、神の懐みたいなものです。」
という思いに共感します。

おそらく、僕が「人を見る目」について簡単に信じちゃいけないと言う趣旨の発言をしたので、「美しい言葉」についてもきっと同じ視点で捉えているのかな? と思われたんじゃないかと思います。しかし、「美しい言葉」は兎も角として「美しく見えるもの」は多くの人が共感できる体験だと思っていますし、わたしたちを喜びや、またそれ以上の畏敬や感動へと導いてくれるものだと信じています。それはむしろ子供のように素直に喜べばいいのだと思います。疑う余地などありません。

「花は美しい」 これは、疑いようのないことです。
しかし、「花のように美しい言葉」は多くの人の現実の体験とは別ものとなってしまうリスクがあると思うのです。しかし、それにもかかわらずわたしたちは、ある種の内面の秩序、静寂で平和な気持ちを持ちたいと望んでいるし、それを見るものや聞くものを通して感じ取りたいのです。そしてその感覚が永遠に続くことを願っているのでしょうね。
僕も、じっと海を見ているときなどそういう気持ちになります。
また、Akiさんの仰られているように「植物しかり」「風景しかり」「人間しかり」命を輝かせている万物がそうなのでしょう。

その時、わたしたちは物を売ったり、買ったりだとかいった経済の功利主義や技術中心の文明社会から解放された気持ちになれるかも知れません。しかし、わたしたちは否応なくまた現実の社会に引き戻されます。
それだからなおのこと、「美の存在」はわたしたちの人生に大きな意味を与えてくれているとも言えますね。

>「世界を透察し、説明し、けいべつすることは、偉大な思想家のすることであろう。だが、私のひたすら念ずるのは、世界を愛し得ること、世界を軽蔑しないこと、世界と自分を憎まぬこと、世界と自分と万物を愛と賛嘆と畏敬をもってながめうることである。」

あふれるばかりの愛と美の存在が確かにある。(それは僕も否定しません)Akiさんの仰る「けなげな強さ」とはそれに気づく心を持っているかどうかで決まるのかも知れません。
僕の傾向としては、プラスとマイナスのバランスを取りながら考えることのほうが多いような気がします。だから、あまりに強すぎるプラス思考を持った人とは、話がかみ合わない場合が多いです。自分の「限界」(マイナス)に気づくことも必要かと思います。
 

Akiさん、こちらこそありがとうございます!  投稿者:ピーメン  投稿日:2008年 5月 8日(木)00時04分1秒
  Akiさん
”リパッティ”喜んで頂けて嬉しいです(^^♪
ピーメンの亡父は度を越したクラシックマニアで、
レコードを6000枚も残して死にました。
リパッティのレコードは、ある教会でピアノを教えている
女性に買ってもらいました。

リパッティの名前を覚えていたことで、Youtubeで検索し、
稀代の天才ピアニストをお伝えすることができた。
ピーメンは、神はインターネットにもしっかり働いておられると
感じます。さらに、リパッティはルーマニア人なので、ピーメンや
パウェル兄と同じ正教会の信徒だったはずなのですね。

・・・何か複雑な気持ち。正教会でも例えば復活祭にリパッティのピアノ
を聴かせてあげれば、ルーマニア人の信徒さんたちが喜ぶでしょうに・・・

6日にはピーメンはギターの弾き語りでライブをさせてもらいました。
沖縄ポップスを歌う女性とか、懐メロの好きな人、ビートルズの好きな人、
いろんな人たちと歌=音楽を分かち合いました。

ここでもAkiさんとリパッティを分かち合えてとても嬉しいです。
これからもよろしくお願いしますね(^_-)-☆

http://pimen20040410.seesaa.net/

 

ありがとうございました!  投稿者:Aki  投稿日:2008年 5月 7日(水)14時05分54秒    編集済
  hiro binoさんもお忙しい毎日だったのですね。
ずっとお返事を気にかけていただいており、申し訳ありませんでした。
「美しい言葉に触れることは、心に喜びと希望をもたらしてくれますが、
口先だけではなくそれを現実に実行することは、非常に困難を伴うもの
です。仰るようにこれは多くの思想家や神学者がつまずいてきた道でも
あるのです。」というところの意味をいろいろ考えていたのですが、
理解の悪い子ですみません・・。(笑)

「美しい言葉や美しく見えるものを簡単に信じちゃいけないよ」
「自分の見たものを絶対視しないように・・・まだ目に見えないものがある」
ということですね。それは人間の知恵を過大視したもので、神の御心に
沿ったものでない場合もある・・・。

実際にその場面に会うと、自分がどう判断するのかまだよくわかりませんが、
hiro binoさんのおっしゃる意味は何となくわかります。
神道、仏教を含めた日本の宗教的風土、精神形成については皆様のいろいろなお考えを伺っていてとても勉強になりました。



ピーメンさん
またまた素敵なピアニストを教えていただいてありがとうございます。
知りませんでした。
ショパンの弾き手として高名な方だそうですが、若くして病に倒れ、
亡くなられたのですね。写真を見るとすごいハンサムな方!彼が亡く
なった時は、たくさんの女性が涙を流したことでしょう。

ピアノは澄んだ透明感のある音で、さわやかな後味、すっきりした
感じの演奏でした。バッハもあったので、聴きましたが、とても
よかったです。
病をおして録音を残しておいてくださったことに感謝・・・また聴きにいきます。
 

日本の古代宗教・・・  投稿者:Angel77  投稿日:2008年 5月 6日(火)03時16分5秒
  hiro binoさんが書かれた
>あるひとつの宗教が国民全体に幅広く浸透するようになるには、
>権力の後押しなしには到底不可能なように思われます。
>日本仏教も国家が積極的に啓蒙普及活動をしなければ、
>あれほど広まらなかったでしょう

 同感です。古代国家の成立には、宗教と政治は表裏一体であったように思います。
先日「紀元前100万年」の映画を観ましたが、宗教と占星術、
占い師の巫女が小国家の長になっていました。それが、強大な
集団(国家)になっていく過程では、精神的支柱として、リーダーに
カリスマ性が要求されそれが、現人神(あらひとがみ)を出現させた
のだと思われました。

ピーメンさんや Akiさんが以前、言われていた自然に対する
畏敬の念のようなものが、天地創造の神を出現させそこから神の恵み
や恩恵を人間が感じ取ってきたのではないかと思われます。
宗教の出現はこうした素朴な人間の思いが神との接点になっているような
気がするのです。
ピーメンさんが書かれた、日本神道=キリスト教は、正確には
カトリック、サレジオ会の神父でマリオ・マレガという人が
「ザビエル以前のキリスト教」という論文を1952年に書いています。
これは東方学会(アジア研究会)に提出されたもので。西暦622年に
京都に建設されたキリスト教会(景教の教会=今の広隆寺)に関する
ものです。
彼らは、アッシリヤ方面から中国を経て日本にやってきたキリスト
教徒(景教徒)でした。(以上は、JIZO Vs JESUS IN
JAPAN の書物による)
これによれば、・・・・
慈母観音=(子安観音)=マリア
天照大御神(太陽神)=イエス(私は世の光です。ヨハネ8;12〜)
地蔵(ジーゾウ)=ジィーザス=イエス
神社の構造=幕屋
鳥居=血塗られた門柱とかもい(家に入って打つことがないようにされる・・・出エジプト12;12)
神輿(みこし)=契約の箱
 

Angelさん Akiさん、リパッティです!  投稿者:ピーメン  投稿日:2008年 5月 5日(月)13時05分36秒
  Angelさん、Akiさん
ホロヴィッツの動画を喜んで頂けて光栄です(^_-)-☆
ピーメンの”検索の虫”がまた蠢きまして・・・
今度は若くして召されたルーマニアの天才ピアニスト
ディヌ・リパッティです。

hiro bonoさん ご無沙汰です。
ピーメンの亡父がクラシック音楽、特にショパンのピアノ曲が好きで、さらに
「ショパンに関する限り、リパッティはホロヴィッツ
に勝るとも劣らない。」と言っていました。

日本の古神道とユダヤ教ないしは初代教会(ユダヤ人のクリスチャン=泰氏?)
との関係はピーメンも非常に興味があるところです。ネストリウス派の長老
阿羅本(アブラハム)と空海の唐の大秦寺での出会い、真言密教への影響・・・
このこともあって実は某聖職者と仲たがいしたのですけれども・・・
やはり職業として”宗教”をやっている人の限界といいましょうか・・・

あるいはhiro binoさんがおっしゃるように
「権力者、為政者の都合によって変わる宗教」は「信仰」とは
似て異なるものだと思いますね。

ピアノの音色や、自然の鳥の声や小川のせせらぎ・・・
こういう音や景色に素直に感動できる心が、自然を敬い神を敬う
・・・”素朴な信仰”にも繋がるのかも知れませんね。

http://jp.youtube.com/watch?v=t7vplb3XdkM

 

Akiさんへ。  投稿者:hiro bino  投稿日:2008年 5月 5日(月)02時41分33秒
  Akiさん、ご無沙汰しています。
ピーメンさん、お久しぶりです。

しばらくばたばたして、ゆっくり投稿できませんでした。
回答がずいぶん後伸ばしになっているのですが、Akiさんの仰られた「多くの思想家や神学者がつまずいてきた道でもある」という言葉の説明ですが、僕の知恵の浅いこともあり、彼らの到達した深遠な境地を完璧に理解することは難しいですが、そこにはやはりパラドックスが含まれているような気がします。
聖書から僕なりのとても簡潔な見解を述べたいと思いますが、賢いあなたには納得がいかないこともあるかと思います。
彼らは「何が神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマ書12−2)と言う言葉につまずいたのではないでしょうか。
彼らは普通の人々よりもずっと優れた理解力、洞察力を持っていたという意味では、神に近づいたと言えますが、優れた能力を持っていることが「完全なこと」であるかのように錯覚してしまったのかも知れません。
むしろ聖書はその後で「自分を過大に評価してはなりません。・・・むしろ慎み深く評価すべきです」(ローマ書12−3)と述べています。これは現代人にも言えることですが、自分を過大に評価しすぎるあまり、自尊心を過剰に肥大化させすぎてしまっているのかも知れません。

それと神道について少し触れたいのですが、明治期に限らず古代においても神道は、大和朝廷の権力集中化の一翼を担っていたように思います。大和朝廷は日本を支配するに当たり、国民に正義を重んじ、神の御心や思し召しを重んじることを教えるために、神道を基盤とした国家作りを進めました。残念ながら「神の御心や思し召しを重んじる心」は現代の日本人の多くが失ってしまった美徳なのですが・・・(その意味で現代の日本人のメンタリティーは古代のものとは大きく変質してしまっていると僕は思います。)

天皇を「天孫降臨」とする日本の神話が生まれ、日本人は天皇を天子様と呼んで、天を敬うが如くに敬ったのです。これが日本の原点です。当時の天皇の権勢は古墳の大きさを考えても強大でした。明治期の国家神道は「純粋な日本の原点」に立ち返り、古代の大和朝廷を復活させたものでした。ユダヤ教やキリスト教国家に似た権力の集中と言うものは日本でも起こったのです。天皇家と神道はこのような古代の歴史的経緯があったからこそ、日本に確固たる基盤を築くことができたと言えます。

あるひとつの宗教が国民全体に幅広く浸透するようになるには、権力の後押しなしには到底不可能なように思われます。日本仏教も国家が積極的に啓蒙普及活動をしなければ、あれほど広まらなかったでしょう。

日本人のメンタリティーと言っても時代によって流行があり、その時々の権力者や施政者の思惑によって服を着替えるが如くに変遷を遂げてきたように僕には思われます。
 

おめでとうございます!  投稿者:ピーメン  投稿日:2008年 5月 5日(月)00時41分46秒
  Angelさん、おめでとうございます!

自動ピアノ、このたびピーメンがライブをやらせてもらうことになった
お店=ポップコーンにもあります。ジャズのスタンダードなどの曲が
セットされています。自動ピアノの伴奏でジャズを歌うのもオツなものでして・・・

ピーメンはピアノの自動演奏機能に”透明人間くん”とニックネームをつけました。
「ポップコーンの専属ピアニストの透明人間くんは優秀なピアニストで、絶対に
演奏を間違えない。但し・・・アドリブが効かないのが玉にきず。」・・・なんちて

http://pimen20040410.seesaa.net/

 

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