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Angel77さん、
>>この掲示板が、そういう意味で、生きる目的を見失った人々の心のオアシス
>>心の避難所としてはたらくことをのぞみたい。
ぴーめん(^^♪も全く同感!です。
”宗教”ではなく”信仰”です。
そして”信仰”は”信仰による行い”によってそれがあることが示されます。
(ヤコブ書)
それはほんの小さな行い、ちょっとした思いやりの言葉かも知れません。
”信仰による行い”は”隣人愛の実践”です。
”信仰”が十字架のタテの棒、”信仰による行い=隣人愛”が十字架のヨコの棒です。
”隣人愛”がなかったら十字架は完成しません。
十字架上の主イエスも左右の盗賊たちが、
「自分も”俺たち”も救ってみよ!」(左の盗賊)
「主よあなたが御国に行かれるとき”私たち”を思い出して下さい。」(右の盗賊)
主を信じた右の盗賊のみならず、「自分も”相棒も”救って欲しい!」と叫んだ
左の盗賊にも”隣人愛;仲間意識”を見て取って、
「アーメン、アーメン、”あなたがた”も今パラダイスにいる。」
として二人とも救われた・・・というのがぴーめん(^^♪流解釈です。
「自分をののしった男は地獄行き!」では、カルト宗教と一緒になってしまいます。
また、「主をののしって地獄行き」ならば、
私なんか何度地獄に落ちても足りません(~_~;)
”隣人愛”をあますところなく発揮してくださった、
幕末に来日された宣教師さんたち。学校や病院を建てて下さいました。
現代では、学校も病院も乱立気味・・・・
なれば、ヘボン先生やウィリアムズ先生が現代にもし生きておられたら、
どんな形で”隣人愛”を発揮されるでしょうか?
やはり年間3万人を数える自殺者を何とかしたい!と思ってくださるのでは
ないでしょうか?
自殺者の気持ちは、「死にたい!」ではなく、
「生きるのがイヤになった。」「希望を失った。」
「本当は死にたくない!助けて!」
というのが本音だと思います。
誰だって愛されるべきいのち。創造主の神の無限の愛を感じることによって、
生きる勇気と希望を与えられるのではないでしょうか?
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