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皆さんに
自殺者は最後の最後まで助けを求めています。
自殺をほのめかす人と議論してはなりません。議論は見かけです。
本当は、助けを求めているのですから。
私も、若い頃、思春期と言ってよいでしょうが、何度も死を考えました。死の正当化を頭の中で反復しました。もし、話す相手がいたら、死のための理論武装を強固にしたと思います。
幸い、それは自分の頭の中だけで止まり、死を強烈に求める心の反対側に否定することのできない、死にたくない、と言う気持ちがあることを知りました。
さらに、死にたいと思うのは、誰かへの当てつけ、言い換えるならば、私を構ってください、と言う求愛のメッセージである、と知りました。
見慣れないタイトルがあったので、つい、おしゃべりしてしまいました。
ご容赦を。
「死ぬと言う人間に本当に死んだ試しがない」とも言われますが、それはとんでもない間違いです。突き放せば、崖ぷちにいるその人に飛び込む力を与えるだけです。
話を聞き、受け止め、まずその危機を脱することです。
肉親を自殺でなくしている人は大きな傷を負っています。私の語学の先生もそうです。息子さんは、正月に名古屋の実家に帰り、四日市の駅で死にました。先生は、なぜあのときに気づいてやらなかったのか、と今でも悔やまれています。
客観的に言うならば、本当に追い詰められ、死ぬ覚悟をした人は、その覚悟が見破られないように周到に行動するので、それに気づくのは難しいです(それでいて、内心は、誰か気づいて欲しいと死ぬほどに願っているのに。妙な言い方ですが)。
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