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パウェルさん
>男性の一人として余り愉快でないですね
そうですね、今の世でもすべて男女間の事件は男性の方が分が悪いですね・・・
つい最近でも、若い女性が電車内の痴漢事件をでっちあげ、男友達と共謀して
無実の男性を罪におとしいれようとした事件もありました。
聖書の中でも旧約聖書の土師記の「サムソンとデリラ」にデリラの女性の魅力を
利用した悪巧みにまんまと引っ掛かる英雄サムソンのことが詳しくえがかれています。
このように、考えていくと男女間のことは五分五分(どっちも、どっち フィフティー・フィフティー)
なのかもしれません。
ただ、歴史を振り返る時、男女間の事件については、加害者が社会的身分が高い
場合は、ほとんど事件にもされず、身分の高い権力を持った男性は、すいすいと
世の中を渡っていたようです。
庶民(平民)の男の場合は、不義密通は、磔(はりつけ)獄門でしたが、身分の
高く権力のあるものが多数の女性を姦淫しても、それは男の甲斐性であり御上(おかみ)
から咎められることはまずなかったのです。この典型は江戸城の「大奥」が堂々と
正当な館(やかた)として存在していたことです。現代社会においては、身分こそ
表向きは上下はなくなりましたが、これにかわるものとして、収入・所有資産の高い
ものがこの昔の「お殿様」の身分にとって代わっているのです。
このように、考えていくと、現代社会では「精神的な姦淫の罪」を論ずること自体が
意味のないことなのかもしれません。(ただし、一方的な暴力による犯罪はこの論議から
除外しています)
このように見ていくと、倫理観も時代背景や社会の変遷によって大きく変わってきている
ことも事実です。キリスト教会も現代社会を素直に認めてそのうえに教会規約や倫理
規約を作っていかなければならないのかもしれません。
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