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Angelさん、Akiさん
しばらくチェックしてませんでした。
わたしは単純に「神は存在する。いつも私たちの中に、私たちのまわりに、全世界の上に。」と考えることにしています。
不条理なことが多く、神はいないと思いたくなるようなことが多いですが、それは私たちが神の教えを理解せず、自分の欲望だけに振り回され講堂するので、神が見えないのではないでしょうか。
たとえ、私が人間的価値観では意味の分からない不当な扱いを受けるような場合にも、それも神の計画の内だ、と考えたいです。現実にはできないかもしれませんが。
私は生き方の土台に何時も神がおられるようと祈っています。「おてんとうさま」が我々日本人の上にあまねく輝き我々を照らしているように。
たとえば、私の意に染まぬ人でも神は愛しておられます。ですから、私も彼を愛するようにしたいです。少なくとも憎まないように。何故ならば、私の経験も能力も限られておりそれによって彼を評価し避けることは、すべてを見ておられる神の前ではなんともみっともないことに思えるのです。
Angelさんの言葉、
>「イエス様がおっしゃったように、この世の見える部分だけを見ていたときは
>疑いも多く信じがたいことも多かったけれど、…この世の苦しさの中を必至に
>おすがりして、…生きてみようと・・」思うのです。
は、私も同感です。細部では私の理解不足があるかもしれませんが。
いずれにしても難しい問題ですね。私にとっては死ぬまでの永遠のテーマかも知れません。
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