|
|
先日、ゴーギャン展に出かけ、日本で初公開された彼の精神的遺言でも
あると言われている最高傑作、「我々はどこから来たのか 我々はなにものか
我々は何処へ行くのか」を見てきました。
彼は今まであまり関心を持たなかった画家でしたが、彼の絵と人生を知り、
今までタヒチに渡り、次々と10代の若い女性を現地妻にして南太平洋の
自然や人々を描いたその絵のようにユニークな人・・・という単純な
イメージはかなり変わりました。
株式仲買人として裕福な暮らしをしていた彼が絵を描くことを通して
人間存在の根本を探らざるを得なくなり、妻子を捨て、病苦と貧困に
あえぎながら創作活動を続け、生み出したものが上記の絵でした。
Angelさんが書かれている「自我意識へのこだわり」は、私の考えでは、
人間である以上、誰もがもっている感覚だと思います。もちろん、それを
強く持つ人とそうでない人はいるでしょう。また一人の人生においても、
「自分とはなにか」と考える思春期、青春期、そして自分の来し方を振り返る
初老期には、強く感じるものだと思います。
でも、多くの人間は、それだけを考えて生きていくわけには行かず、生命を
維持するための糧を求めて働き、この世にできたしがらみ(家族や地域
職場での人々とのつながり)の中で多くの時間を費やして生きていくのです。
またその意識に強くしばられる人は江原さんのように宗教家になったり、
僧や神父、牧師のような宗教家として生きていく(もちろんしがらみから
宗教家になる人もいるけれど)のではないでしょうか。
この中にゴーギャンのような芸術家も含まれると思います。だから芸術家
として後世に名前の残る人の人生は現実社会では、あまり幸せだった人はいません。
ゴーギャンは世界恐慌に遭わず、幸福な家庭で5人の子どもたちに囲まれ、
日曜画家として人生を閉じていたほうがよかったのか・・・もちろんその場合、
あの傑作は生まれなかったでしょうが・・・どちらがよかったのかわかりません・・
|
|