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日本の26聖人・・・・・

 投稿者:Angel77  投稿日:2009年 9月18日(金)21時41分46秒
  通報 編集済
  ぴーめんさん イレーナ・センドラーさんのこと詳しくご紹介くださってありがとう
ございます。動画を観て感動し涙があふれました・・・・・。
彼女が最後に語っている・・・・
「現代の人の心は、戦時中よりひどくなっていいるような気がします。大量殺戮兵器が
いまも量産されているからです・・・・」しかし・・・
「それでも私は愛が勝つことを信じています・・愛より尊い
ものはこの世にないからです・・・・」
と語っている姿は説得力がありますね。

ところで、歴史を掘り起こすと、日本にも豊臣秀吉の時代と徳川政権の初期には
ナチスドイツが行ったユダヤ人迫害に匹敵するほどの、キリシタン(キリスト教徒)への
迫害がありました。
そのひとつが歴史に名高い殉教した「日本における26聖人」です。

 以下は フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による、日本26聖人に関する
記述です。

1596年10月のサン=フェリペ号事件をきっかけに、秀吉は1596年12月8日に
再び禁教令を公布した。
また、フランシスコ会の活発な活動が禁教令に対して挑発的であると考え、
京都奉行の石田三成に命じて、京都に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を
捕縛して処刑するよう命じた。ちなみに、26聖人のうち、フランシスコ会会員と
されているのは、スペインのアルカンタラのペテロが改革を起こした「アルカンタラ派」
の会員達であった。大阪と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名
の合計24名が捕縛された。三成はパウロ三木を含むイエズス会関係者を除外しようと
したが、果たせなかった。
24名は、京都・堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされて(秀吉の命令では
耳と鼻を削ぐように言われていた)、市中引き回しとなった。
1597年1月10日、長崎で処刑せよという命令を受けて一行は大阪を出発、
歩いて長崎へ向かうことになった。また、道中でイエズス会員の世話をするよう依頼され
付き添っていたペトロ助四郎と、同じようにフランシスコ会員の世話をしていた伊勢の
大工フランシスコも捕縛された。2人はキリスト教徒として、己の信仰のために命を
捧げることを拒絶しなかった。
厳冬期の旅を終えて長崎に到着した一行を見た責任者の寺沢半三郎は、一行の中に
12歳の少年ルドビコ茨木がいるのを見て気の毒に思い、信仰を捨てることを条件に
助けようとしたが、ルドビコはこの申し出を丁重に断った。
ディエゴ喜斎と五島のヨハネは告解を聞くためにやってきたイエズス会員フランチェスコ
・パシオ神父の前で誓願を立てて、イエズス会入会を許可された。
26人が通常の刑場でなく、長崎の西坂の丘の上で処刑されることが決まると、
一行はそこへ連行された。長崎市内は混乱を避けるため外出禁止令が出されていたが、
4,000人を超える群集がそこへ集まってきていた。パウロ三木は死を目前にして
群集に自分の信仰を語った。一行が槍に両脇を刺しぬかれて殉教したのは
午前10時ごろであった。・・・・・・・
 
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